いつまでも君と……

愛犬のために わたしたちができること

それは限られた時間を刻むこと ~愛犬の闘病、もう一つの側面(1/4)~

f:id:fukuichrin:20170814142911j:plain

多くの方々の愛犬・闘病記を読んでみると、犬の命を賭けた闘病は、突然やってくることが多いようです。我が家の愛犬、ピーチーの場合もそうでした。

心の準備が何もないうちに、突然始まる闘病生活。
だから、飼い主の心は大きく揺れるのだと思います。

こんな時、ちょっと見方を変えてみたらどうでしょうか?
もしかしたら、闘病に違う側面が見えてくるかもしれません。

今回から4話に分けて、犬の闘病の話の中でも、飼い主の視点の変化について触れていきます。

 

突然の告知。その時……

f:id:fukuichrin:20170814145137j:plain

最近、どうも体調が悪そうだな――

いつもなら元気一杯でじゃれついてくる愛犬の、ちょっとした変調。
いつものように、2~3日様子を見たらきっと良くなるだろう。

――あれ、今回はどうも違うようだな。

何となく嫌な予感がして、動物病院に連れて行く。そんなときに、突然に獣医師から、予期せぬ病名を告げられるのです。

重病――
回復は望めない――
余命は……

飼い主の思考はその時、一瞬止まってしまいます。
悲しんだり、取り乱したりするのは、しばらく経ってからの話。

最初は―― 「何も考えられない……」
そこから、闘病は始まります。

 

絶望の中身は?

f:id:fukuichrin:20170814145144j:plain

医師から告知の言葉を聞いたとき、飼い主たたちはきっと深い絶望の底に落ちるでしょう。そして、その絶望の中身は1つだけではありません。

この子がいない生活など考えられない……
医療費は一体いくらかかるの? 
投薬の時間は守れるのか? 
自分に点滴の針をさせるの?

さまざまな思いが、一気に飼い主の心中に去来します。
その中でも、飼い主が最も恐れを抱くのは、”時間”に対する恐怖です。

はじめのうちは、「あとどれくらいこの子と一緒にいられるのだろう」という恐れです。やがて看病が始まり、それが日常のものになってくると、恐れの内容が変わってきます。

「この看病はいつまでつづくのだろうか?」と……

 

時はドッグイヤーで進んで行く

f:id:fukuichrin:20170814145149j:plain

無限に思われるその時間の重さに、飼い主の心は不安にさいなまれます。
しかし、良く考えてみてください。本作でも一般的な犬の闘病期間(下記)について触れていますが、その期間は慢性疾患の場合で1年。長くて2年。
重篤な疾患や、急性疾患は数か月です。

――ラクーンアニマルクリニック 木佐貫敬 院長――

犬の(最期の)闘病というのは、どれくらいの期間を要するものなのでしょうか? 「いわゆる終末医療という観点からいうと、犬の最期の闘病は、大体2週間から1か月の間だと思います。まずは1週間取り組んでみて、快方に向かうかどうかを見極めながら、更に1週間と伸ばしていきます」

その1か月には、何か根拠があるのでしょうか? 「1か月と言うのは犬の体力からも、飼い主さんの疲労度合からしても、限界の時間です。終末期の看護は大変ですからね」

時間は優しいもの ~数字からみた闘病(2/3) - いつまでも君と……

別れの時は確実にやってきます。
恐らくそれは、とてもあっけない形で訪れることでしょう。
わが家の愛犬ピーチーの場合は、後足の化膿の治療で、たまたま訪れた主治医の病院で、肺ガンの恐れが指摘されました。天国に旅立ったのは、それからわずか1か月後です。
(この闘病の詳細は、別のコラムで触れることにします)

犬に流れている時間は、人間とは異なります。ドッグイヤーと称されるように、犬は歳を重ねるのが早く、高齢になってその速度が落ちてたとしても、人間に換算して1年で5歳も歳をとります。
病気の進行も、それと同じくドッグイヤーで進むのです。

 

限られた時間

f:id:fukuichrin:20170814145155j:plain

もう、お分かりになるでしょうか? 
もしも我々の愛犬が重病で、且つ治る見込みがない慢性疾患だと認められた時、幸か不幸か、我々は無限の看病を恐れる必要はないのです。

「この子とは、あと1年ほどしか一緒にいられないんだ」

もしも無限の闘病を恐れる日が来たときは、そう考え方を変えると良いと思います。
残された時間を慈しむ事で、愛犬との付き合い方は変わってくるでしょう。

――わが家がそうであったように。

 

残された時は……

f:id:fukuichrin:20170814145202j:plain

時間が限られてくると、次のように考えることもできるようになります。

「長い人生の中の、たった1年をこの子のために使ってやろう」

どうでしょう? 絶望の中で無限の先を想うよりも、ずっとたやすいことではないでしょうか? そして幸運にも1年を乗り越えられたならば、その時点でもう一度、思いを新たにすれば良いのですと。

「この子とは、もうあと1年ほどしか一緒にいられないんだ」
――と。

愛犬の闘病は、残された時を刻むことなのだと思います。
その ”時間” は、見えない何かを恐れるのではなく、どうかまっすぐに、愛犬のために費やしてあげてください。

それは恐らく、愛犬のためだけではありません。
後に残される飼い主、つまりあなた自身のためにでもあるのです。

そう、――それもまた、我が家がそうであったようにです。


―― 愛犬の闘病、もう一つの側面・つづく(1/4) ――

(ライター)高栖匡躬

 

 

――本記事は、下記の連載で構成されたものです――

 

ブログランキングに参加しています。投票にご協力ください。

f:id:fukuichrin:20170808121637g:plain

ブログランキング・にほんブログ村へ